問題解決は鬱の回復に必要なのか? その1

 

企業のメンタルヘルス研修や、さまざまな読みものでは「鬱はカゼのようなもの」という言葉をよく聞きます。

この言葉が意味することは、「鬱は決して特殊な病気ではなく、誰もが鬱になる可能性があるんです」、ということと、「だから偏見は持たないでほしい」という切な願いがこめられています。

まったくもってそのとおりなのです。
なのですが、しかし、しかし(。・ω・)ノ゙


鬱の「回復」においては、カゼと決定的に違うことがあります。
カゼは原因となるウィルス抗生物質で叩けば、自然に治っていきます。
でも鬱は、「原因を解決したからといって回復するわけではない」ということです。


鬱になる原因は、その人それぞれに実に様々な原因があります。
まさに十人十色です。

ある人は「職場の責任の変化や人間関係が原因で・・・」
といったり、
ある人は「家族関係が・・・」といったり、
ある人は「失恋が・・・」といったり
(こういった本人からの訴えを「愁訴」といったりします。)


でも、はっきりいってそれら原因を取り除く、または解決することが鬱の回復を促すことには決してなりません。


自分自身、鬱の時代、いろんな精神科心療内科カウンセラーのところへ、それはもうホントに死ぬ思いで通っていました。

でも、ちっとも良くなりませんでした。

むしろ、通えば通うほどつらくなる。
薬を飲めば飲むほど具合悪くなる。
もう自分が自分じゃなくなる感じです。

まあ、それでも薬のおかげで睡眠についてだけは継続して取れていましたが( ̄ー ̄;

⇒その2へつづく。。

 

 問題解決は鬱の回復に必要なのか? その2

 

多くの精神科医カウンセラーが取る態度、それは「診断的態度」です。
(診断的態度については、「ポーターの5つの態度」というキーワードでググってみてください)


今思えばその「診断的態度」で「問題解決しようとされること」こそが回復への道を閉ざすものでした。


誰もが困った人に対しては手を差し伸べたいと思うと思います。
ですから困っている人に対して、あれこれ良いアドバイスをしようと必死になります。

家族も、恋人も、上司も同僚も、お医者さんも、多くのカウンセラーも。


すべてはその困っている人を大切に思うからこそ、なのです。
(もちろん鬱になっている人はそれを十分理解しています。)


でも、その困っている人は本当にアドバイスなんかほしいんでしょうか?

問題解決したら鬱って治るんでしょうか?


鬱になる人は、責任感が強い人が多い、とよく言われますよね?
その人なりに社会の荒波を乗り越えて来た実績があることがほとんどです。
その人なりの「生き方」を強く持っています。


そういった人たちに今更「問題解決へのアドバイス」をしたところで
すでに本人が思案し尽くしてしまっています。


でも、そのひとはどこかでポキッと折れてしまった
または
どこかでパチッとスイッチが切れてしまった。


立ち上がろうとしても、立ち上がれなくなってしまったのです。

どうして??

「だれも自分の気持ちをちゃんと聴いてくれない」から。

⇒⇒次に続く

・・・と、まあこんなわけで、、

かなり私的な見解を交えつつ、だらだら書いておりまして・・・汗。

 

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